習志野市の概要

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習志野市のまち

 水泳競技会が開催される習志野市をシリーズでその概要を紹介します。

第2回 習志野市の遷り変り

 明治21年(1888)、町村制が施行され、谷津・久々田・鷺沼・藤崎・大久保新田の5村連合で人口4,451人の津田沼村が誕生しました。
 明治34年(1901)には、習志野に騎兵第一・第二旅団が設置され、明治36年(1903)に津田沼町(人口6,106人)となりました。
 その後津田沼町は、軍郷としての色彩が濃くなりましたが、第二次大戦後、旧軍施設は教育施設や住宅などに転用され、軍郷からの脱皮をはかりました。

騎兵15連隊の写真

騎兵15連隊

騎兵15連隊跡(現/東邦大学付属東邦高等学校同中学校)の写真

騎兵15連隊跡
現 東邦大学付属東邦中学校高等学校

旅団司令部の写真

旅団司令部

旅団司令部跡(現/八幡公園)の写真

旅団司令部跡
現 八幡公園

鉄道第二連隊の写真

鉄道第二連隊

鉄道第二連隊跡(現/千葉工業大学)の写真

鉄道第二連隊跡
現 千葉工業大学

 昭和29年、千葉市から実籾・長作・屋敷台新田の一部・東習志野地区を編入して、人口30,204人をもって習志野市が誕生。昭和30年代には、「京葉工業地帯造成計画」によって習志野市を含む京葉臨海工業地帯の開発が進められました。

埋め立て前の東京湾の写真

埋め立てが始まる前、東京湾を望む
(昭和30年代)

袖ヶ浦団地の写真

第一次埋め立てにより、袖ヶ浦団地が誕生
(昭和40年代)

秋津・香澄・芝園・茜浜の写真

第二次埋め立てにより、秋津・香澄・芝園・茜浜が誕生
(昭和50年代)

そして昭和45年、習志野市は「文教住宅都市憲章」を制定、これを基本理念に昭和59年には21世紀を展望した長期計画を策定し、「活力あるふるさとづくり」に向けて諸施策を進めています。

現在の習志野の写真

現在

今回紹介した場所

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