若潮国体ボクシング競技に出場した
本間春信選手 インタビュー
毎年開催されている国民体育大会は、ゆめ半島千葉国体をもって65回を数えます。47都道府県を巡って、千葉県での開催は2度目となりました。前回の千葉県開催は1973年(第28回昭和48年)の「若潮国体」。習志野市はボクシング競技の開催地でした。
若潮国体ボクシング競技で千葉県は、見事に準優勝。決勝こそ当時最強と言われた青森県に敗れはしたものの、袖ヶ浦体育館の特設リングで開催県としてその役割をしっかり果たしました。
千葉県準優勝の立役者となった一人に本市在住の本間春信選手がいます。今回は本間選手に当時のお話をうかがいました。
―まず、ボクシングを始めたきっかけは・・・
中学まではもともと野球をやっていたのですが、県立船橋高校に入り大学進学を目指すために練習時間が長い野球部への入部は両親に反対されたのです。それでも何か運動部に入りたかったので練習時間の短いボクシング部に入部しました。そして、初めて岡山国体(第17回昭和37年)出場することができました。この岡山国体が一番印象に残っています
―その後、大学生のときは・・・
新潟国体(第19回昭和39年)に出場する機会があったのですが、ちょうど東京オリンピックに出場した旧佐原市出身の桜井孝雄選手がいて、私は千葉県予選にも出してもらえませんでした。そこで、山口県代表として出場するチャンスが整い、出場し優勝しました。
―若潮国体は新潟国体の9年後に開催されましたね・・・
大学を卒業して、就職をする時には既に昭和48年の千葉国体のボクシング競技が習志野市で行われる事が決まっていました。是非出場したいと思い、練習時間や仕事の内容等を考え、八千代市役所に勤めました。しかし当時は練習の機会が殆どない社会人が現役の学生にかなわないのが普通でした。
―当時対戦した選手と今でも親交はありますか・・・
残念ながら対戦した選手との親交はありませんが、当時千葉県チームの仲間とは年に一回、昔からボクシングに深いご理解をいただき支援していただいた成田の旅館等に集い、親交を暖めています。
ボクシングや水泳に限らず、スポーツ選手の選手生命はとても短いものです。国体は選手にとってその短い選手生命の中で花を咲かせることが出来る限られた機会となります。その瞬間は一瞬ですが、咲かせた花とその感動は一生の思い出として選手や観客の胸に残る事でしょう。
37年ぶりの千葉国体、開催期間はほんの数日ですが、選手たちの一生の思い出となる舞台を習志野市はもちろん、千葉県全体で整えていきたいものです。




